資料:小樽市史編纂室より 

名前 職業 小樽との関わり・主な作品名
石原 裕次郎 俳優 昭和12年3歳の時父が山下汽船小樽支店長になり、神戸から小樽市緑町に移り住む。夏は蘭島や塩谷の海水浴場で父から水泳の訓練を受ける。16年7歳、稲穂国民小学校へ入学。スキーも得意で小学校2年から3年は回転の選手として活躍した。18年9歳の春、父が本社重役に就任し、神奈川県逗子市へ転居した。

主な作品名
「狂った果実」「乳母車」「陽の当たる坂道」「太平洋ひとりぼっち」
一原 有徳 版画家 徳島県生まれ。虻田郡真狩村に移住後、昭和2年から45年まで小樽地方貯金局に勤務。油絵を手がけたのち昭和27年から版画を創作。金属板に直接絵を描きインクの盛り具合で立体感を出す独自の手法を創案。機械文明の非情を象徴するような幻想世界を表現し、国際的な評価を得る。ニューヨーク近代美術館、国立近代美術館などに作品が収蔵されている。

主な作品名
「一原有徳作品集」
伊藤 整 詩人
小説家
翻訳家
明治38年松前生まれ。翌39年塩谷村に移住。小樽高商(現小樽商科大学)を卒業後、小樽市中学校(現長橋中学校)で英語教師として教壇に立つかたわら、処女詩集「雪明りの路」を自費出版。昭和3年上京し、東京商大(現一橋大学)に入学。以後、評論、翻訳、小説など多方面にわたって活躍した。40年には日本近代文学館理事長に就任。

主な作品名
「雪明りの路」「若い詩人の肖像」「青春」「鳴海仙吉」「氾濫」「日本文壇史」
小熊 秀雄 詩人 明治34年小樽の色内町で生まれる。小学校5年の時秋田の伯母の家に預けられ、間もなく父の住む樺太に転居。養鶏場の番人、炭焼き、漁師の手伝い、製紙工場の工員などの労働に従事し青春を送る。大正18年姉をたよって旭川に出て、間もなく小樽へ行き呉服店の店員となる。一年ほどで旭川へ戻り旭川新聞社に入社。文芸欄を担当し童話・詩・短歌・散文を発表。昭和3年上京。プロレタリア詩人会に入会。諷刺詩人として活躍し認められはじめたが、結核で39歳で死亡。

主な作品名
「飛ぶソリ」「馬上の大ドロボウ」
小田 観螢 歌人 明治19年岩手県九戸郡生まれ。16歳の時小樽に移住。奥沢小学校の代用教員になる。この頃より旧派の和歌を手がける。大正4年太田水穂主宰「潮音」創刊に当たり率先して加盟。同14年庁立小樽中学校教員。教員生活のかたわら、昭和5年総合短歌結社誌「新墾」を自ら主宰して創刊、北海道歌壇育ての親といわれる。

主な作品名
「隠り沼」「忍冬」「蒼鷹」「暁白」「天象」
岡田 嘉子 女優 明治36年東京渋谷生まれ。大正の初め、父親が小樽発行の新聞「北門日報」に主筆として招かれ、一緒に小樽に移住。嘉子は北門日報の記者達と劇団を作って演劇の公演を行った。会場は錦座、現在の松竹ボウルであった。一年ほどのち上京し、舞台協会研究生となり、女優の道を歩み始める。大正14年日活の専属、さらに井上正夫一座に加わり舞台に出る。昭和13年、演出家の杉本良吉と共に国境線を越え、南樺太からソ連領の北樺太へ逃亡、以後ソ連に住み、モスクワで生涯を終える。

主な作品名
「髑髏の舞」「椿姫」ほか、日活映画、松竹映画に多数出演
金子 誠治 画家 砂川市に生まれ、6歳の時小樽に移る。旧制小樽市立中学校(現長橋中)で図画の先生に木版画を習い、やがて棟方志功の知遇を得て影響を受ける。昭和5年道展初入選。日本版画家協会、国画会への出品を機に上京するが、戦争と持病のため帰郷。以後、家族、子供たちの日常を題材とした作品を数多く創作した。

主な作品名
油絵、木版画多数
京極 夏彦 小説家 昭和38年小樽市生まれ。倶知安高校を卒業後、桑沢デザイン研究所、広告代理店勤務を経て、制作プロダクションを設立。「後巷説百物語」で第130回直木賞を受賞

主な作品名
「嗤う伊右衛門」」「百鬼夜行一陰」「後巷説百物語」
小林 多喜二 小説家 明治36年秋田県で生まれる。4歳のとき小樽へ移住。伯父の経営するパン工場を手伝いながら小樽商業を卒業。小樽高商(現小樽商科大学)に進み、卒業後、北海道拓殖銀行へ就職。やがて港湾労働者の争議の支援などにかかわり、昭和4年「蟹工船」「不在地主」を発表、これがもとで同銀行を退職して上京する。以後プロレタリア作家として活躍、数々の古典的作品を残す。昭和8年東京赤坂で逮捕され、特高の拷問を受け死亡。

主な作品名
「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「不在地主」「党生活者」
小林 伸江

旧名:
小林 千代子
声楽家 明治43年小樽市稲穂町に生まれる。色内小2年の時、オペラ歌手三浦環のリサイタルを電気館で聴き、歌手を志す。庁立小樽高女3年の時上京、東洋音楽学校へ入学。昭和6年同校を首席で卒業、第1回全日本音楽コンクールに入選。ビクターと契約し、歌謡曲「涙の渡り鳥」が大ヒット。ポリドールで「旅のつばくろ」がヒット、歌謡界のスターとなったが、三浦環の助言で「伸江」と改名、クラシック音楽に復帰。「蝶々夫人」の主役などオペラで活躍した。

主な作品名
「アリランの唄」「涙の渡り鳥」「旅のつばくろ」「蝶々夫人」
小林 正樹 映画監督 大正5年小樽市色内町生まれ。小樽中学(現潮陵高校)時代はテニスの名選手。早稲田大に進み、卒業後いとこの大女優田中絹代の勧めもあり松竹大船撮影所の助監督になる。軍隊生活の後、木下恵介監督につく。昭和27年「息子の青春」監督デビュー。以後、戦争の非情を描いた「人間の条件」、長編記録映画「東京裁判」、世界的に評価された「切腹」など寡作だが、重厚な作風で知られる。

主な作品名
「人間の条件」「東京裁判」「切腹」「上意討ち」「怪談」「化石」
中村 善策 画家 明治34年小樽で生まれる。15歳の時勤めるかたわら、小樽洋画研究所で絵画を学ぶ。大正14年道展創立に参加した後、軽快なタッチと明快な色調の中央画壇へ飛躍。二科展、一水会、文展、日展などに出品。日本芸術院賞など数多くの賞を受けるとともに各団体の審査員を務めるなど、わが国洋画界の第一人者として活躍した。

主な作品名
「秋の原始林と沼」
中村 伸郎 俳優 明治41年小樽市稲穂町で生まれる。稲穂小2年の頃東京へ移転。はじめ画家を志したが、帝展落選を機に新劇界に入る。昭和12年文学座に参加、以来同座の中核的存在として戦中戦後の新劇運動を推し進めた。映画は数多くの作品に名脇役として出演。会社の重役クラス、人のいいおやじといった役どころが多い。スマートな中年ぶりで小津安二郎監督作品には欠かせない俳優だった。テレビドラマの出演も多い。

主な作品名
「マリウス」「花束の夢」「生きる」「秋日和」
並木 凡平 歌人 明治24年札幌生まれ。炭鉱の事務員、支庁の臨時雇などを経て、旭川、帯広、釧路などの新聞社を記者として渡り歩く。大正9年小樽新聞社に入社後、同新聞に口語歌壇を設けて口語歌を振興。朝里不動尊境内に「廃船のマストにけふも浜がらす鳴いて日暮れる張碓の浜」の歌碑がある。

主な作品名
「並木凡平全歌集」
ナンシー梅木 歌手
俳優
昭和4年小樽市富岡町に生まれる。兄が米軍の通訳をやっていた関係で、占領軍の米兵を通じてジャズを知り、キャンプで歌い始める。昭和21年上京し、もっぱら米兵を慰問しレコードを聴きながらジャズを勉強した。その後、日劇の舞台に立ったりビクターから出したレコードがヒットしたりして有名になったが、30年勉強のしなおしのため渡米。アメリカでスカウトされラジオ、テレビに出演。さらにワーナー映画「サヨナラ」に出演し可憐な演技を買われ、アカデミー助演女優賞に輝いた。

主な作品名
「サヨナラ」
水の江 滝子 歌手
ダンサー
俳優
プロデューサ
大正4年小樽市花園町に生まれる。同6年一家で上京。小学校卒業後、松竹楽劇部第一期生となりレビューの男役で舞台に立つ。以来「男装の麗人」として大人気を博す。松竹少女歌劇部の待遇改善争議では闘争委員長として勇名を馳せた。28年舞台を引退、日活のプロデューサーとなり、「太陽の季節」などで石原裕次郎を売り出す。

主な作品名
(レビュー)「タンゴ・ローザ」
(プロデュース作品)「太陽の季節」「狂った果実」「俺は待ってるぜ」



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