![]() |
---|
1994年(平成6年) |
![]() オルゴール堂前に蒸気時計が完成。英国調ブロンズ製、高さ5.5m、重さ1.5トン、世界最大の蒸気時計。15分おきに蒸気の力で上部にある5つの汽笛が優しさと温かみのある音でメロディーと共に時を告げる。 |
![]() |
1882年(明治15年) |
祝津浜で開拓使御用掛の内村鑑三が、日本で初めてアワビの繁殖研究をした。 |
1885年(明治18年) |
![]() 北海道で初めての機関庫が作られ、扇形機関庫としては現存するわが国最古のものである。昭和35年10月、鉄道開通88年を記念して、鉄道記念物に指定。 |
1897年(明治30年) |
![]() 広井勇小樽築港事務所長の指揮のもと、小樽港北防波堤の建設が始まる。明治41年に全長1,289mが完成。広井勇の設計した斜塊構造による工法はわが国最初の実施であり100年を経た今日でも当時のコンクリートは健在である。 |
1918年(大正7年) |
小樽機船漁協、小樽市漁協の組合長を務めた、近代漁法の草分け青木貞治が網巻装置を考案した。 |
1922年(大正11年) |
2月、第1回全国スキー大会が開催され、100人が参加した。 |
1923年(大正12年) |
![]() 2月、第1回全日本スキー選手権大会が開催された。 |
1926年(大正15年) |
全国唯一の法人スポーツ単位団体「タカクワクラブ」が設立された。 (代表者 高桑市郎) |
1933年(昭和8年) |
![]() 龍徳寺(真栄1丁目)に寄進された巨大な木魚は、直径1.3m、高さ1m、重さ330kgという日本一の大きさ。制作費は1,000円、当時で家が一軒建てられる金額であった。 |
1935年(昭和10年) |
![]() 北手宮小学校の高山喜市郎が雪まつりの雪像づくりをした。雪まつりのルーツである。 |
1936年(昭和11年) |
新宮商行は全国で初めて、道材を原料とした合板を輸出し、英国を中心とするヨーロッパ市場を開いた。 |
1936年(昭和11年) |
![]() 第4回冬季オリンピック大会(ガルミッシュパルテンキルヘン、ドイツ)に日本スキージャンプ陣が出場。滝田、安達、宮島、伊黒の四選手、いずれも小樽中学スキー部の卒業生。元祖「日の丸飛行隊」である。 |
1937年(昭和12年) |
野村スキーが合板スキーの特許を取り、選手の体重、身長、癖に合わせてスキーを作製した。 |
1951年(昭和26年) |
4月、戦後自由経済移行とともに、小樽商品取引所が雑穀取引所として全国にさきがけて復活した。 |
1955年(昭和30年) |
3月24日午前5時16分、石炭荷役 国鉄ローダー利用税の廃止要求をめぐり、全国の議会史上初めて、議事堂内への「警察官導入事件」が起きた。 |
1957年(昭和32年) |
3月、西独フランクフルトで開かれる国際見本市に日本で初めてスキーが出品された。(入船 野村スキー) |
1960年(昭和35年) |
東京、岡山とともに全国で初めて小樽市桜町に成人精薄者の更正援護施設「道立希望学園」(山之内千代次園長)を設置した。後に和光学園と名称を変更。 |
1963年(昭和38年) |
3月、全国のトップを切って、小樽小売市場連合会を発足した。市内13の小売市場が参加、名古屋、横浜、神戸などのモデルケースとなった。 |
1963年(昭和38年) |
2月、対岸貿易に活路を求めようと、戦後、共産圏との貿易商社となる、株式会社中ソ貿易会(社長 吉村伝次郎)が設立された。 |
1964年(昭和39年) |
1月、全国で初めて行商人による協同組合が設立され、直営のカマボコ工場を経営。 |
1965年(昭和40年) |
10月、道央水産食品株式会社春香工場が、日本で初めてフィッシュペーパー(魚のすり身)の企業化を行った。 |
1970年(昭和45年) |
都市再開発法に基づく小樽駅前地区市街地再開発事業が全国第1号の指定を受ける。 |
1974年(昭和49年) |
5月16日、小樽港北防波堤灯台(通称:赤灯台)に全国でただ一つ伊藤長右衛門の分骨がある。 |
1978年(昭和53年) |
市町村立としては初めて、小樽文学館が開館した。 |
1994年(平成6年) |
新日本海フェリーの「あざれあ」、「しらかば」が新潟~小樽間の就航を開始。総トン数2万トンは長距離フェリー船舶で日本最大。 |
1996年(平成8年) |
![]() 敦賀~小樽間を「すいせん」、「すずらん」が就航開始。速力29.4ノットは長距離フェリー船舶で日本最速。 (写真は「すいせん」) |
![]() |
1869年(明治2年) |
島 義勇により銭函川、オタルナイ川の水を利用した、石狩川と結ぶ銭函運河の建設構想が出され、明治9年から利用が開始された。 |
1880年(明治13年) |
![]() 11月28日、道内で初めて幌内~手宮間の鉄道が開業。 (写真:北大北方資料館所蔵提供小樽交通記念館) |
1883年(明治16年) |
4月、地場商人らにより興商会が自主組織され、明治23年には、北海道の商工団体の第1号で、商工会議所の前身となる共商会が設立された。 |
1884年(明治17年) |
北海道で初めての機関庫が作られ、扇形機関庫としては現存するわが国最古のものである。昭和35年10月、鉄道開通88年を記念して、鉄道記念物に指定。 |
1886年(明治19年) |
北有社がカムチャツカ号を購入して、山東半島の芝罘に向けて、小樽港から石炭の海外輸出を始める。 |
1896年(明治29年) |
小樽港で第1回北海道端艇(ボート)大会が開催された。 |
1901年(明治34年) |
新富町に笹野文作が小樽製紙場を設立し、紙くず藁くずを集めてチリ紙の下級品(すきかえし)を製造。 |
1901年(明治34年) |
陸軍省が手宮の現鉄道記念館付近に道内で初めて験潮場を開設した。 |
1906年(明治39年) |
道内で初めて、小樽~南小樽駅間高架化事業を行う。 |
1907年(明治40年) |
11月、北海道ではじめて小樽区医師会を設立した。 |
1911年(明治44年) |
手宮高架桟橋による石炭荷役を開始。 |
1911年(明治44年) |
2月、石炭積込用高架桟橋が竣工。年間43万トンを取り扱う。
|
1923年(大正12年) |
第1回北海道テニス選手権大会を開催。この後、函館を経て全道に普及。 |
1926年(大正15年) |
北海道における第1回メーデーに約2,000人が参加。 |
1928年(昭和3年) |
小樽カントリー倶楽部で道内初のゴルフトーナメントが開催された。 |
1933年(昭和8年) |
3月、全道で初めて小樽専門店会を結成した。日本では岡山専門店会に次いで2番目。山下洋服店が代表発起人。 |
1934年(昭和9年) |
![]() 12月、小樽駅舎が完工。同じように改築運動をしていた札幌、函館に先駆け、鉄筋コンクリートとなり、全道で初めて跨線橋を廃止し、地下道形式とした。 |
1935年(昭和10年) |
新宮商行が現在の小樽市銭函に合板工場を建設。わが国輸出合板の3割、北海道輸出合板の9割を生産。 また、北洋材、南洋材にも目を向け、ラワン材をいち早く輸入し、美しい木目を転写する「いずめ板」の特許を得て、今日のプリント合板の元祖となった。 |
1949年(昭和24年) |
12月3日、全道で初めての試みとして、小樽市の各地区および各業種を網羅した小樽商店街商業協同組合が発足した。金融(貸付)、共同仕入れ、共同事業などを行った。 |
1952年(昭和27年) |
天狗山で道内最初のスキーリフトが運行。 |
1954年(昭和29年) |
3月、全道に先駆けて、大國屋、ニューギンザの両百貨店を含めた異色ある月賦団体として小樽商店協会(社長:佐藤 富一)が発足した。 |
1954年(昭和29年) |
![]() 道道小樽定山渓線の工事が開始される。この道道は整理番号が1番であり、「道道1」という標識が立っている。 |
1960年(昭和35年) |
6月、アジアスキー工業所が、米国シアトルのアンダーソントンプソンスキー会社と契約。1万台のスキーが道内で初輸出となった。(小樽港) |
1961年(昭和36年) |
5月、小樽青年会議所が、カナダのブリティッシュコロンビア州の州都ビクトリア市と道内で初めての国際姉妹都市JC縁組を結んだ。鹿児島-ナポリ、京都-パリ、大阪-サンフランシスコに次いで4番目。 |
1967年(昭和42年) |
3月、大同倉庫は、臨港地帯に道内初めての専用サイロ(バラ穀類専用)を建設した。 |
1970年(昭和45年) |
11月24日、縫製部門では全道初の協同組合の工場が完成した。市内銭函に工場を建設していた「桂陽スーツ」(信田逸郎理事長)で、月末から作業衣月産5,000 着の操業に入る。 |
1971年(昭和46年) |
12月、紳装がコンピュータと連動する自動裁断機を道内で初めて導入した。全国では神田センチュリーと中央セントラルの2社だけ。 |
1973年(昭和48年) |
4月14日、小樽市内の家庭金物卸売り業者8社が共同で企業の合理化、近代化を進めるため、道内で初めて協同組合を組織した。 |
1974年(昭和49年) |
10月、小樽市銭函1丁目に道内で初めての子供総合病院として「北海道小児総合保健センター」ができた。 |
1986年(昭和61年) |
4月30日、小樽港厩町岸壁に輸入用セメントサイロを建設。韓国産バラセメントを貯蔵するための施設で、道内での輸入用セメントサイロ建設は初めて。年間輸入量は10万トン前後。 |
1987年(昭和62年) |
7月9日、稲穂1丁目再開発計画の大店法による3条申請が結審するまで、16ヵ月を要した。これは通常の2倍となる異例の長さで、道内では最も長かった。 |