小林多喜二文学碑


小林多喜二文学碑

建立年月日  1965(昭和40)年10月9日
所在地  旭展望台
交通  中央バス 最上町線 商大通り下車 徒歩20分
碑文
冬が近くなると/ぼくはそのなつかし/い国のことを考えて/深い感動に捉えら/れている そこには/運河と倉庫と税関と/桟橋がある そこで/は人は重っ苦しい/空の下を どれも背/をまげて歩いている/ぼくは何処を歩いて/いようが どの人を/も知っている 赤い/断層を処々に見せて/いる階段のように山/にせり上がっている街/を ぼくはどんなに/愛しているか分からな/い
小林多喜二(こばやしたきじ)
1903(明治36)年10月13日〜1933(昭和8)年2月20日

 1964(昭和39)年多喜二の同窓生等が発起人となり小林多喜二碑建設期成会が組織され、募られた資金で建立された。碑容は本郷新の設計による本の見開きをかたどったもの。銅板の碑面の左に青年労働者の頭像をはめ込み、右上部には多喜二の肖像レリーフ、左上部には北斗七星、北極星をかたどった嵌込がある。碑文は1930(昭和5)年11月11日多喜二が獄中から村山知義の妻籌子にあてた手紙の一部が、明朝体でレリーフされている。
 小林多喜二は秋田県に生まれ、1907(明治40)年小樽に移住。伯父の家に住み込みパン工場の手伝いをしながら庁立小樽商業学校に通った。1921(大正10)年小樽高等商業学校に入学。同校校友会誌の編集委員となり詩や短編を発表する一方、中央雑誌にも投稿。小樽高商を卒業後、北海道拓殖銀行に就職。この頃市内の有志とともに同人誌「クラルテ」を発行した。社会科学を学びはじめ、近代資本主義社会の諸問題に関心を抱き、港湾労働者の争議の支援等にかかわるようになった。
 1929(昭和4)年「蟹工船」「不在地主」を発表。同年拓銀を依願退職、翌年春上京した。1931(昭和6)年当時非合法下にあった日本共産党に入党。極めて困難な創作活動を続けていたが、1933(昭和8)年2月築地署特高に逮捕、拷問を受け死亡した。小樽を舞台にした作品は「不在地主」のほか「一九二八年三月十五日」「転形期の人々」「地区の人々」など多数。


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